物事を合理的に解決すれば、環境活動・SDGsはいらない

環境活動やSDGsに言語化できない違和感や気持ち悪さを感じたことはないだろうか?

ジャケットの胸元にSDGsのカラフルなバッジを付け、「環境問題を解決するには二酸化炭素排出量を・・・」「持続可能な開発を・・・」と話す人や組織・そして活動について考えてみたい

端的に感想を述べる
・個別の事案を細かく対処療法している
・ごく少数の余裕ある人しか取り組めない
・善意あると自覚している行為を対外的にアピールしている

個々人や組織がある程度の行動をするようになったところで、事象が大きく変化する(いわゆる根本解決する)ことはなく、焼け石に水である
全ての個人と組織が良い行動を行えるわけがない
資本主義が有り続ける以上、格差と貧困は存在し続けるため、余裕のある人以外は環境問題やSDGsに取り組めない
今や環境問題やSDGsは「良い行動をおこなっている」をアピールするための指標・判断基準になりつつあり、存在意義がズレている

それらに対する解決方法は下記ではないか
・根本的に解決を行うテクノロジー(技術革新)を推進すること
・余裕のない人を取り組みから切り離すこと(協調圧力をかけない)
・「全てが正・善ではないこと」と「アピールには意味がないこと」を理解し、問題解決実行者に任せること

物事を合理的に解決しようとすれば、環境活動・SDGsは不必要になります
資本主義における上位数%の資産家の想像力の欠如や対応の不十分が、不特定多数の不利益をもたらしているのであって、これから社会全体・人類全体で取り組むべき事象ではありません
上位の資産家たちを突き動かすための動機とメリットと手段を提示すべきであって、路上で看板を掲げてデモをやってもほぼ何も変わりません
感情論ではなく、経済に関連するテクノロジーを推進すべきです

感情論や偏った一般論・常識を用いることで問題が複雑化し、利権が生まれています
それは持続可能な開発目標なのでしょうか? 大いに矛盾をはらんでいます

変化の多い社会では、何もかもが不確実性の高いモノ・ヒト・コトになってきています
環境問題・環境活動・SDGsに関するモノ・ヒト・コトも同様に、確実に正・善では無い以上、問題を分析・解決ができる専門家や資産家に実行を委ねるべきです
素人が関わることほど恐ろしいものはありません

 

不必要なものを啓蒙すること、不必要なものに取り組むことに対して、無意味さと矛盾を感じるのは当然のことである
これが、環境活動やSDGsに言語化できない違和感や気持ち悪さを感じる正体です

 

◆持続可能な開発目標SDGsエス・ディー・ジーズとは
持続可能な開発目標(SDGs)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標です。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っています。 SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,日本としても積極的に取り組んでいます。

引用元:SDGsとは? | JAPAN SDGs Action Platform | 外務省 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html

 

◆環境活動家グレタさんが注目だけど、 環境活動より技術革新が大事!
でも、飛行機が地球温暖化ガスを増やすとかいう話をするのは、人間が人間であることを否定することになると思うんだよ。本当は堂々と飛行機に乗って、技術革新で地球温暖化ガスを減らす方向に動いたほういい。それが「人間らしさ」であって、グレタさんのような活動は方向性を間違えているよ。

引用元:ホリエモン×ひろゆき、環境活動家グレタさんが注目だけど、 環境活動より技術革新が大事! | ホリエモンドットコムブログ https://weblog.horiemon.com/100blog/52290/